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大国主命が宝玉を転がし留まりし聖地

玉神社

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出雲風土記の意宇郡母里郷の条に、大国主命(大穴持命)が、越の八口を平定し、長江山の「稚児岩」に帰座した際、水取の玉(水精、水晶)をこの岩の上に置き、「私が造り治める他の多くの領国は皇孫に譲るが、出雲の国だけは自分の国として玉のように大切に育て守る」と出雲統治を宣言しました。その大穴持命をこの玉神社では祀っています。社名は、旧号を「玉大明神」ととなえたものを、明治四年に「玉神社」と改名されました。
 

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伝承によれば、大国主命が諸国平定の後、長江山から宝玉を転がして「玉のとどまったところこそ我が鎮座の地である」と部されたことから玉神社が創建されたとあります。
元々は、長江山の一角、稚児岩に鎮座され
、後に上小竹宮山に移り、寛永年間、現在地に近い下小竹向こうの上に移座されましたが、この地が道路下に当たることになり、社殿を見下ろすことになることから、天和三年、現在地に選座されました。

この玉神社に祀られている大穴持命は神名を十六も持っています。創造神、農業神、医療神、縁結神など様々な多面性とご利益をもたらす神様です。そのため、日本全国、1300余社にものぼる多くの社に祭神として祀られています。島根県内でも、334社で奉斎されていますが、風土記の大穴持命=大国主命の(持)を使った祭神はこの玉神社一社です。しかし、ここがその源流であることはあまり知られていません。

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上�の台緑の村

​住所

島根県安来市伯太町赤屋

営業時間

9時〜17時
定休日:毎週水曜日

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​電話

0854-38-0022

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