雲伯堺・古事記伝承地
大霊峰
比 婆 山
【比 婆 山 久 米 神 社】
ー 太古の記憶を宿す逆転磁場の聖地 ー
かれその神避りし伊邪那美の神は、出雲の国(現在の島根県)と伯伎の国(現在の鳥取県)の堺、比婆の山に葬りき …
古事記
上の台と対を成す霊峰比婆山とは?
古来より、巳は神様の使いや神の化身として信仰されてきました。神社で見かける六角形の御神紋は、巳や龍の鱗を象ったものと言われます。比婆山は、六角形の石柱の結晶群(日本最大級の玄武岩柱状節理)によって形成された奇跡の山でその山容は、まさに龍神を彷彿させます。また、この比婆山の玄武岩は、太古において、地球の磁場が北と南が逆転していた頃の磁気を帯びています。山頂には、ここにしか自生していない植物が見られるなど不思議なエネルギーに包まれています。また、古来よりこの山の山頂付近は魂が宿る玉抱え石と呼ばれる霊石が見られ、その石に祈れば子を宿すと信仰を集めてきました。魂をあの世から呼び寄せる事ができるあの世へ最も近い場所なのかもしれません。それもあってか、日本最古の歴史書である古事記には、この比婆山に、この国の母神・イザナミノミコトを埋葬したと記載されています。山頂には、イザナミノミコトの御神陵と神社が存在しています。
松山逆磁極期の記憶
玄武岩柱状節理
比婆山を形成する、日本最大級の玄武岩柱状節理群は、松山逆磁極期(約240万年前から70万年前の間に存在し、現在とは逆の極性を持つ時期)の磁場を帯びています。その圧倒的な存在感と迫力は、まるで巨大な龍の鱗を思わせ、この現代社会においても、自然の神秘と神々の存在を感じずにはいられません。
八百万の神々が集う「神在月」を告げる黒き龍
龍蛇神
古来より蛇は豊穣の神、大地母神の化身であり、神聖な存在、神の使いとして崇められてきました。古代に擬蛇化された神々は出雲でも珍しくありません。旧暦の10月、出雲に八百万の神々が集まる「神在月」を告げる神様は「龍蛇神(りゅうじゃしん)」と言われています。
国立国会図書館「大社龍蛇神」出版:出雲大社より
この龍蛇神のとぐろを巻く姿と比婆山を形成する黒い柱状節理の山容はとても似ています。
また、古代の山岳信仰、自然崇拝において山は大地の神、地母神として信仰されてきました。山頂は、ミホドと呼ばれ、地母神への胎内への入口であり、魂が帰る場所と言われています。日本の地母神とされる伊邪那美命(イザナミノミコト)は、火の神を産んだ際にミホドを火傷し、それが原因でお亡くなりになり、この比婆山へ埋葬された、と古事記には記されています。
神在月に出雲へ集まる八百万の神々は伊邪那美命のお墓参りを行い、神議りを行うそうです。
山頂にある比婆山久米神社奥ノ宮。宮の背後には伊邪那美命を埋葬したとされる円墳がある。
熊野の源流
久米の社
島根県宍道町の大森神社旧神職である宍道(池田)家に所蔵されていた『勲業宍道家正系』の中に含まれている熊野大社の神職である熊野家の系譜を記した文書「神主熊野家系図之次第」には、「比波山-出雲園 目録 熊野大社神主系圃次第」とし、以下のように記載があります。
原文:
天照皇大神天乃高御舎仁在志弓勅之弓宣久以伊射那伎尊
乃日乃眞名子熊野加武呂御気農命波宣志久出雲國
比波山青垣山乃内仁宮柱太敷立弓高天乃原仁千木高知在伊射
那伎伊射那美尊坐須熊野大神乃大社仁則官志弓子孫永久是
現代語訳 :
天照皇大神は、天の高御座におわし、弓を用いて勅命を宣べられ、伊射那伎尊(いざなぎのみこと)に伝えられた。その日に、生まれたまことの子である熊野加武呂御気農命(くまの かむろみけの みこと)は、出雲国において宣言を行った。
比波山(ひばやま)と青垣山(あおがきやま)の内に宮柱を太く建て、天高く御殿を築き、天の原には千木を高く掲げ、
そこに伊射那伎尊と伊射那美尊(いざなみのみこと)が鎮座し、熊野大神の大社において、神職をもってその子孫が永久にこの務めを果たす、と定められた。
以上のことから、現在、松江市八雲村にある熊野大社は、本来はこの比婆山(日波山)にあったことがわかります。
※青垣山は現在の母里の東側に位置し、比婆山から直線距離にして約4km北東
現在、比婆山の神社は現在、比婆山久米神社と呼ばれています。久米(くめ)とは一説に熊野や籠るの語源と言われています。
県指定天然記念物
陰陽竹
伊邪那美之尊が出産のため、比婆山に上がった時に杖にした竹が、そのまま根を下したものだと言う伝説があり、この竹を杖にすれば、安産をなすと言われています。雲陽誌には「ある時、塚に小竹が繁っているため、牛馬を牽いてきてこの塚の草などを牛馬に食わせようとしたが、塚のあたりへは牛馬が寄りつかず、与えても食べなかった。また、この竹を杖に突いて行くと蛇の類が寄りつかず、蛇の居る所へ杖を突き立るとすくんで動けなくなる」という記載があります。陰陽竹はここにしか繁殖していない珍しい竹で、男竹に女性的なササがついているため「陰陽竹」と名付けられました。